「信長の城(岩波新書)」を読みましたので
丹羽さんに関係ある部分で気になった事をメモしておきます。
信長が小牧山城に居城してた時代に
丹羽さんの屋敷が置かれていたという「蟹清水砦」。
こちらの本では、信長は小牧山に城を築こうとした時に
家臣を城下に階層的に集住させる
いわゆる”戦国期拠点城郭”を目指そうとしていたのに
その信長への権力集中の形を快く思わなかった一部の有力家臣達が
意図的に城下の中心から少し離れた位置に屋敷を構えたという話で、
丹羽さんもそのうちの一人で、だから少し離れたその砦に屋敷を構えてた、
とういう話になってたのですが。
…この話は本当なのかしらーなどと気になってしまって。
だとしたら、その時代には丹羽さんはまだ信長に心底従っていた訳ではない
という事なのでしょうか?
しかし、小牧城普請の命を受けたのは丹羽さんという説もあるみたいですし、
小牧山に移住するその少し前(もしくは同時期)に
丹羽さんは信長の養女(姪)と結婚してますし、
この時代から互いの信頼関係は厚かったと思えるのですが。
それに、丹羽さんは最初から織田家の重臣だった訳でなく
おそらく信長自身がスカウトして家臣にしたうちの一人だと思うので、
そんな身勝手なふるまいが許される立場ではなかったのではないかと。
なので、その砦に屋敷を構えたのは別の理由があったと思えるのですが…。
この後の美濃攻略で丹羽さんが大活躍してる所をみるに
戦略的な意味がありそうな…?
しかし、こちらの本の説が正しければ
一般的には温厚で順従なイメージだった丹羽さんは、実はとてもプライドが高く
信長に対しては”協力してやってる”ぐらいの意識しかなくて、
でも信長の方は丹羽さんの事をとても気に入っていたから
重要な役割をまかせたり、親族を嫁がせたりして優遇してたのに、
それでも時に反抗的な姿勢をみせる丹羽さんに
「これだけやってもダメ?どうやったら長秀は完全に服従してくれるの?」と
信長は困っていた、しかもそんな関係がずっと続いていた、
という新しい二人の関係性が想像されて面白いなあと考えておりました。
むしろこちらの関係の方が、丹羽さんが官職を拒否した話や、
軍事に関しては遊撃軍以上の事を任されなかった事も
しっくりくるような気もしますw
でもやっぱり丹羽さんは、自分本位な行動をする事は一切なく、
ただただ織田家に献身的に尽くした忠義の人であって欲しいですね。
他、気になった箇所のメモ。
・安土城摠見寺があった場所は元は
丹羽さんが安土普請開始直後に建てた信長の仮御座所だった?
・「安土普請中に丹羽長秀の家臣が、鷹狩中の信長の目の前に
石を落としてしまい一人が手討ちになったと公記に記載されてる」
とありましたがこれは丹羽”氏勝”さんの家臣ですね。丹羽違いです;