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ニワか知識で語ります。

戦国ブログ。大好きな武将・丹羽長秀様について真面目に調べたり考察したり、時に不真面目な妄想をしたりしてます。

長秀様ゆかりの地へ ~佐和山&安土・前編~

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長秀様ゆかりの地へ ~佐和山&安土・前編~

先日、佐和山・安土へ行ってきました!
ので、その時の事をこちらにメモしておきます。


ついに!ついに!あの佐和山の地へ!
旅行決行の数日前からワクワクが止まりませんでしたv

ここで佐和山城と長秀様の関係について少しおさらいを。
城主になったのは1571年2月。
信長の浅井・朝倉攻めの最中、佐和山城攻めを任された長秀様。
当時の城主、浅井家臣・磯野員昌を降伏させ城代として入城。
そのまま城主となります。
また、信長様はこの長秀様が居る佐和山の地が
戦略的な意味でも、個人的な意味でも、お気に入りだったようで。
佐和山に着陣し近くの志村城を攻略したり
足利義昭と敵対した時には佐和山で長秀様に大船を造らせ戦に備えたり。
(信長自身も佐和山に滞在し、作業を見ていた模様)
あと、岐阜を居城としていた間は京へ上洛する度に、
安土に居城を変えた後も、吉良(愛知)へ鷹狩に出かける際に
休憩地点として佐和山を選び長秀様の所へ何度も泊まりに来たりしていました。
そして、本能寺の変が起こった1582年まで、
つまり11年という長い間、長秀様は佐和山の城主を務めていたのです。

そんな、長秀様と信長様の絆を深く感じる事が出来、
また長秀様自身も一番思い入れ深い場所であろう、
佐和山の地へ!いざ、出陣!

====

2月某日。

実家が大阪なのですが、もしかしたら滋賀あたりなら
そこから日帰りで行けるかも?と気付き、
帰省中に佐和山&安土に行く計画を立ててみることに。

実家(大阪の中心部)から佐和山最寄り駅の彦根駅まで約1時間半。
交通費は片道約2000円。
…ギリギリ行けそうです。

2月某日朝。
実家から駅まで歩く時間などもあり早めに出発したつもりでしたが
彦根駅に着いたのは11:30頃。
道中の車内では、京都を通過したころから、遠くにチラッと見える琵琶湖の姿や
信長公記でよく見る「石山」や「堅田」の地名に
興奮しまくってましたw

駅に到着後、ひこにゃんさんの看板を横目に
とりあえず、駅の観光案内所へ。
職員さんに「どちらへ?」と聞かれ「佐和山へ」と答えたところ
「え!今から!?」と驚かれました。
「服装は…(道が険しいと聞いていたのでスニーカーとジーンズを着てました)
まあ大丈夫かな」と言いながら佐和山マップを渡してくださる職員さん。
まだ昼前だけど…?そこまで険しいのかなあと若干気になりつつ
駅のコンビニで山頂に着いたら食べる予定の昼ご飯を買い、
麓まで大分歩くようでしたので
レンタルサイクルを利用しいざ佐和山へ!
(ちなみに佐和山のマップは彦根市のサイトでもDL出来ます。)

彦根城方面には観光客向けのお店が広がっていますが、
佐和山方面にはなんにもなく;
案内の看板も見当たらないので
マップだけを頼りに慎重に進みます。

踏切を渡る手前で、目の前の山の上に「佐和山城跡」の看板が
あるのを発見!
ついにきたーーー!きたよ、丹羽さんーーー!
記念に一枚パシャリ。


そこから、山中への入り口に建つ龍潭寺へ。
人の気配が全くない…。
駐車場…すごく広いのに一台しか車停まってない…。
こんな所に自転車一台ポツンと停めてたら盗まれないかしら;
でもお寺の前でそんな罰当たりなことしないよね?と
不安になりながらも隅っこに停めました。

龍潭寺の前には佐和山城についての解説看板が。
「信長の時代には”重臣”(←ここ重要!)の丹羽長秀が配され」って
ちゃんと書いてるv
しかし、「佐和山城ゆかりの戦国武将」の看板には、
三成さんと…何故か浅井長政さんが;
そこは丹羽さんでしょー!?
浅井時代の話ならせめて城主だった磯野さんにしてあげましょうよ…。
少し悲しくなりました;


お寺の脇にある小道。
写真でよく見る三成さんの銅像を横目に山中へ。
墓地の中を通って…。
急に道がなくなります;
山道というよりは、山肌を無理やり登っていく感じ。
切通しの辺りまでそんな道が長く続きます。
昨日に雨が振っていて所々道もぬかるんでいて
地面に手をついて昇り降りしなければならないところもあり。
職員さんが心配していた理由がよく分かりました。
ジーンズ&スニーカーで大正解でした;

この調子では山頂にいつ到着できるのか不安だったので
途中の色々なスポットは少し足を止めて見る程度で
早々と通り過ぎることに。

体感1時間ぐらい、実際には25分程;
息を切らせながらついに山頂の本丸跡へ到着!!

丹羽さんーー!
それがし、ついに、あなたの城に
参上致しましたぞーーー!

 
本丸から東側の図。
向かいの山に雪が残っておりなかなか味わい深い光景に。


手作りの丹羽さん&ニャー長秀人形とも一緒にパチリ。


西側の図。
眼前に広がる彦根の街!
彦根城も小さく見えています。
(この写真ではわかりづらいですが
中央の木が生い茂ってる部分にあります)
こんな険しい山の中にあった佐和山城と
街中に堂々と建っている彦根城。
戦国時代と江戸時代の城の違いがよくわかりますねえ。

そして琵琶湖!
ほんと海かと思うほど広い!
この岸辺あたりで丹羽さんは信長様に言われて
大船を造ったんですよね。
54mx13mの現在でも大きすぎる船。
浮かんでいた時の光景を想像してしまいます。
ここで、お昼ご飯タイムに。
丹羽さんも見ていたであろうこの景色を眺めながら
食べるおにぎりは最高でしたv
お米ばんざい!(色んな意味で)

その後、本丸跡からもう少し先に行った所に
井戸と本丸の石垣跡があるとのことで。
マップにあるものの、どう行けばいいか分からずキョロキョロしてたら
そちらの方面から一組の老夫婦がいらして
親切にも教えて頂きましたvありがとうございますー!
ちなみに山中で出会ったのはこの方たちだけでした。
ほんと人居なすぎです;
まあこの険しさでは気軽に来れないですよね。
ご夫婦もしっかりした山登り用の格好でいらっしゃいました。


井戸に到着。名前は「千貫井戸」。
石田時代の飲料水と書いてありますが
山の水源など限られてると思うので
きっと丹羽さんの時代にもあったんじゃないですかね。
飲水という生きていく上でなくてはならないもの…。
個人的には本丸より
こちらの方が実際にここに丹羽さんが居たという事を
強く感じられて、
感慨深い気持ちになりました。
山に吹きつける風を感じながらしんみり。


ここからの眺めもまた見事。
少し曇っているのが残念です。
でもこの足元のすぐ先は崖のような急角度になっており
うっかり足を滑らすとそのまま下まで真っ逆さま。
ちょっと危険な所です;

もう少し浸っていたかったのですが安土にも寄りたかったので
そろそろ山を降りることに。
誰も居ない本丸跡に向かって
「丹羽さんー!また来ますー!」と
小声で(笑)言ってから下山。


降りてきてから気づいた山の入口付近にあった
佐和山城の模型。
ここで最近三成さんのイベントがあったぽいですね。
丹羽さんのイベントもいつかやってください><

その後、少しだけ彦根の街を回ることに。

彦根城…
人気のお城ランキングの上位でよく見かけるだけあって
やっぱりきれいですな~。
機会があればいつか内部も見てみたいものです。


三成さんのお店?みたいな所にあった
佐和山全体の模型。
こっちは表側ですが、私が登っていたのは裏側だった模様。
そりゃあんなに険しい訳だ;
さっきまでこの本丸の所に居たのだなあと
ついさっきのことなのにもう懐かしく感じてしまいました。

そしてようやく駅へ。
三成さんの看板を見つけたり
石田みつにゃん&しまさこにゃんのキャラ電車が停まってて
写真も撮ったのですが
ここは丹羽さんブログなので割愛。


後編へつづきます…。

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プロフィール

HN:
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非公開
自己紹介:
2012年頃から戦国時代に興味を持ち始めたまだまだ戦国知識初心者です。 気になってる武将:丹羽長秀様と織田家・北条家と風魔一族。

■ついった
お絵描き練習関係:ceciinyan
趣味語り用:oni_yanawin

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