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ニワか知識で語ります。

戦国ブログ。大好きな武将・丹羽長秀様について真面目に調べたり考察したり、時に不真面目な妄想をしたりしてます。

「フロイス日本史」と丹羽さん

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「フロイス日本史」と丹羽さん

「完訳フロイス日本史(中公文庫)」の信長様が登場する時代の部分のみ
読み終えましたので、その中の丹羽さんに関する記述について
メモを残しておこうと思います。

===
結論から言うと丹羽さんの名前が出て来るシーンは
第42章(文庫2巻)と第58章(文庫3巻)の2箇所のみ、でした;
少なすぎる…けど、そもそも本書がキリスト教布教に関する話が
メインなので仕方ないのかも知れません。

42章の方は、”岐阜まで信長に会いに来た伴天連達が都に帰る際に、
信長が彼らを護送するように丹羽さんに命じた”というような内容のシーン。
丹羽さんのこと、”彼(信長)が大いに寵愛する貴人”と書かれてありましたよ!
国外から来た人からでもそう見えたのね…。
丹羽さんが本当に信長様に大事にされてたっぽい事が分かって
なんだかホッとしましたw
でも「貴人」としか書かれてないという事は、武将として有能な人だとは
思われてはなかったのかな;
あと、護送中の丹羽さんの様子については特に何も書かれていなかったので
きっと事務的に護送しただけなんだろうなぁと。
(柴田さんや佐久間さんと会ったシーンでは「よくしてもらった」みたいな事が
わざわざ書いてあったので。)
丹羽さんは外国人及びキリスト教には一切興味もたなかったっぽい?

58章は、本能寺後、信孝さんが丹羽さんと一緒に信澄を討ち取った時の様子を
説明しているシーン。この出来事は有名ですよね。
どうやらこの史料では、信澄さんを討とうと企てたのは信孝さんで、
その際に丹羽さんと一緒に作戦を練って実行した、という事になってるようで。
信澄を討った事で信孝さんは信用を獲得し、近くの有力者達が協力を
申し出てきた、という事で。
この結果を得たかったからの行動だったと考えると
本当に信澄さんが明智と通じてたかどうかは関係なかったんでしょうね。
「信澄本当は悪くないのに信孝と丹羽はヒドイ」みたいな事がよく言われてますが
兵の士気を上げるためにも仕方なかった事なのではないかと…。
信澄さんにはかわいそうですが…。
それにしても丹羽さん、信澄さんとは安土の土木工事などで
一緒に仕事をする事が多かったハズなのですが、
何のためらいもなかったのですかね?
信澄さんのこと、嫌いだったのかしら;
この本の中でも「信澄は残酷な暴君だった」なんて書かれてますし。
まあそれはフロイスさんの勝手な見解という可能性もありますが。


丹羽さん関係はこれぐらいですが、
他に、信長様の日常の一部分や、性格について詳しく書かれていたり、
また当時の日本の様子なども分かって
なかなか興味深い内容が多いご本でした。
さすが戦国時代の重要な史料として分類されてるだけはありました。
時間が出来た時にでも他のページもじっくり読んでみたいと思います。

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自己紹介:
2012年頃から戦国時代に興味を持ち始めたまだまだ戦国知識初心者です。 気になってる武将:丹羽長秀様と織田家・北条家と風魔一族。

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